COMPANY 会社沿革

菓子職人として、技術に向き合う「熱意」を自らの鍛錬で見せた
エーデルワイス創業者・比屋根 毅。
菓子職人だけでなく卓越した経営手腕を発揮し、
商店街の小さな店舗を
一代で業界随一の100億円企業に育て上げた。
その創業者が入社式で新入社員たちに贈った言葉が『人生無一事』。

「無心の心境になり、何もないところから一日が始まる。
今日、うまくいかなくても明日に引きずらない。
よいことがあっても、おごらず明日を迎える。
一日一日を大切にして精一杯頑張ってほしい」
という気持ちがこめられたこの言葉は、
創業者が大切にしていた言葉です。

創業の精神を決して忘れることなく、
これまで積み上げてきた伝統を守りながらも、
全従業員が一丸となって常に新しいおいしさに挑戦し、
「エーデルワイス」の新たな時代を創っています。

1966

比屋根 毅、
エーデルワイスを創業

尼崎の立花商店街はずれの7坪の店舗でエーデルワイスを創業。資金不足のため、ショーケースやオーブンなどは全て中古の物を買ったり、タダで譲り受けたりしてオープンにこぎつけた。オープン当時は創業者の比屋根 毅と妻・笑子、職人と身内の販売員の4人でのスタートだった。オープン当初はお客様が1日に4~5人という日もあったが、バタークリーム全盛の時代に、乳業メーカーと共同開発した生クリームを使った生シューが人気となり、小さなお店は連日多くのお客様で賑わった。

創業当時の店舗(右側は現社長・比屋根 祥行)

1969

株式会社エーデルワイスに改組
パン部門に着手

フランスから来日したジャン・ジャック(Jean Jacques)氏の指導を仰ぎ、パン部門を設立、フランスパンの販売を開始した。
同氏は、比屋根がパンづくりの修行で訪れたパリの有名店「ジャン・ジャック」のオーナーの子息で、1年にわたりパン製造の技術指導を行った、当社におけるパン部門の礎である。

フランスでの修業時代、ジャン・ジャック(Jean Jacques)氏と

1970

エーデルワイス塚口本店竣工
レストラン・喫茶併設
(兵庫/尼崎市塚口)

大阪で万博博覧会が開催された1970年12月、4階建ての新社屋「エーデルワイス」塚口本店が完成。ケーキの販売に加え、喫茶・レストランに事務所を含めた店舗は、クリスマスシーズンとも重なり、多くのお客様で賑わった。

エーデルワイス塚口本店

1971

フランチャイズチェーン店展開活発になる、多店舗化スタート

1972

本部センター竣工(兵庫/尼崎市尾浜)

一流の技術を学ぼうと洋菓子職人を目指す若者が全国から集まり、売上げも大きく増えて工場が手狭となったため、1972年、当時の年間売上である4億円を投資して、尼崎市尾浜町に本部センターを竣工。比屋根 毅は、毎年のようにヨーロッパを訪れ本場の伝統的な味や技術を学び、本物の味をお届けすることをモットーに事業を拡大していった。

竣工当時の本部センター外観

1976

本社を兵庫/神戸市に移転、
社名をスイス菓子エーデルワイスに変更

1977

スイス、シュプリングリ社研修、技術者派遣

海外との初提携先となった、スイスの老舗シュプリングリ

1978

株式会社アンテノール設立
アンテノール北野本店オープン(兵庫/神戸市 北野)

ヨーロッパの一流ブランドに負けない自社ブランドを創りたいという想いから、1978年12月12日、神戸北野(兵庫県神戸市中央区中山手通)にアンテノールを創設。ギリシャ神話の勇者の名前からとったアンテノールの北野本店は、当時としては珍しい高級洋菓子店として、全国から多くのファンが訪れる人気店となった。

オープン当時の店舗外観

1981

アンテノール阪神店(阪神梅田本店)オープン

大阪・阪神梅田本店にファクトリー付きの「アンテノール」を出店。ガラス張りのファクトリーで職人たちがケーキをつくり、できたてのお菓子を提供するというコンセプトが支持を得て、連日多くのお客様でにぎわった。

ファクトリー付き「アンテノール」阪神店

1982

株式会社ル ビアン設立
エーデルワイス中央研究所竣工(兵庫/尼崎市尾浜)

本物の味を生み出す技術力と開発力を養うため「エーデルワイス中央研究所」を尼崎本部センターの東側に設立。現在は、その機能をセンターオフィス&ファクトリーラボに移し、商品の開発や研究を続けている。

本部センター東側に設立した中央研究所

1983

関東進出
東京/中央区門前仲町を支社・工場拠点にアンテノール銀座三越店オープン

長年の夢であった関東進出を果たす。

銀座三越店オープン時の画像

1986

ワールドケーキフェア出品(グランプリ・世界洋菓子連盟会長賞受賞)

当時のピエス・モンテのデザインとしては、天を射抜くような細身のスタイリッシュな意匠は珍しく、ジャン・ミエ氏(世界洋菓子連盟会長:当時)に絶賛される。

作品名:夢のしらべ

1987

関東支社移転
東京/江東区東陽町に工場を竣工

竣工の東京工場(東陽町)

1989

ヴィタメール業務提携本契約(日本)

ベルギーの老舗ヴィタメール社と業務提携。1910年創業、ベルギー王室御用達のヴィタメールの2代目オーナーであるアンリ・ヴィタメール氏を日本にお迎えし、本契約を結ぶ。
当時のヴィタメールは世界中から認められる洋菓子ブランドとして提携を求める話も多くあったが、全て断っていた。しかし、比屋根 毅が1986年に横浜そごうで行われた「ワールドケーキフェア」でグランプリを受賞したことをきっかけに2人の距離は一気に近づいた。翌年、比屋根がベルギーを訪ねた際には、それまで見学者の立ち入りを一度も許したことがない工場内をヴィタメール氏自ら案内してくれた。比屋根の熱い思いが伝わり、さらに職人としての互いの「味へのこだわり」が一致し、すっかり意気投合した2人は、家族ぐるみの付き合いを重ね、関係を深めていった。提携後は毎年技術者を派遣し、本場ヨーロッパの伝統と技術を日本に取り入れていった。

ヴィタメール2代目オーナー アンリ・ヴィタメール氏と創業者 比屋根 毅

1990

株式会社ヴィタメール・ジャポン設立

1992

第5回全国洋菓子展示大品評会・東京
(大型工芸洋菓子出品)
(内閣総理大臣賞受賞)
第1回世界の洋菓子コンクール出品(最優秀賞、優秀賞受賞)

作品名:夢のファンタジー

1996

社名を株式会社エーデルワイスに変更

1997

比屋根 毅 石垣市民栄誉賞 受賞

1998

ドイツ・デュッセルドルフの老舗菓子店「ハイネマン」との技術交流、技術者派遣

創業1932年、ドイツの老舗菓子店「Heinemann(ハイネマン)」はドイツの人々に今なお愛され続けているお店

2002

比屋根 毅 ベルギー王国より 王冠勲章オフィシエ賞 受賞
比屋根 毅、代表取締役会長に就任
比屋根 祥行、代表取締役社長に就任

会長、社長就任披露パーティー

2004

新関東支社兼東京工場 竣工
(東京/江東区清澄白河)

関東進出を果たしてから20年。関東での売上規模増に伴い関東支社を東京都江東区清澄白河に移転。
新社長体制のもと、第2創業期の第一歩として新たなスタート。

隅田川から望む関東支社 兼 東京工場

2007

ル ビアン関東工場竣工
第6回全国洋菓子技術コンテスト(第1位農林水産大臣賞受賞)

2008

ル ビアン関西工場
兵庫/伊丹市に移転

エーデルワイス 関西ル ビアン工場

2009

世界パティスリー2009(当社社員を含む日本チーム、優勝)
本社新工場 竣工(兵庫/尼崎市)

3人1組で洋菓子の技と味を競い合う世界パティスリー2009において、出場8か国中、日本チームが見事優勝を果たした同じ年に、本社新工場が完成。安心・安全を第一に考え、HACCP対応の最新設備を整えた新工場には、創業者が長年にわたり収集してきた洋菓子とパンの伝統的な器具や美術品など、約4000点のうちの3000点を展示した『エーデルワイスミュージアム』を併設した。地域の皆様や製菓学校の生徒さんなど一般の方々も見学に来ていただき、洋菓子文化の伝承、地域社会への貢献につながっている。

「世界パティスリー2009」で優勝した日本チーム

2010

比屋根 毅 旭日双光章の叙勲を受ける

「旭日双光章」を受章

2011

ノワ・ドゥ・ブール(新宿伊勢丹店)オープン

「アンテノール」(1978年)、「ル ビアン」(1982年)、「ヴィタメール」(1990年)に続き、4つ目のブランドとなる「ノワ・ドゥ・ブール」は、百貨店と店舗設計からコンセプトまで、徹底した議論を重ねて誕生した、当社の新しい形態である。

つくりたてのおいしさをお届けする「ノワ・ドゥ・ブール」

2012

比屋根 毅 ベルギー王国レオポルド2世勲章 コマンドール賞 受賞

2012

ビスキュイテリエ ブルトンヌ(阪急うめだ本店)オープン

「ノワ・ドゥ・ブール」(2011年)に続き、その翌年には素材にこだわった焼き菓子専門店「ビスキュイテリエ ブルトンヌ」を立ち上げた。本当に美味しい焼き菓子を食べていただきたいという想いから、店内厨房から毎日焼きたてを揃えている。

ブルターニュの伝統的な焼き菓子専門店「ビスキュイテリエ ブルトンヌ」

2014

比屋根 毅、テレビ東京系列「カンブリア宮殿」に出演
株式会社エーデルワイス沖縄設立(オキコ株式会社との共同出資会社)
新ギフト工場竣工(尼崎市)

エーデルワイス ギフト工場

2015

エーデルワイス沖縄 本店オープン
アンテノール沖縄 リウボウ店オープン

「菓子づくりを通じて、郷里に役立つことをしたい」という長年の夢と、「沖縄の自然と素材を活かした伝統の食文化を取り入れた、こだわりのお菓子を開発する」というコンセプトで沖縄へ初出店を果たす。

エーデルワイス沖縄 本店をオープン

2015

新ギフト工場、兵庫県食品衛生管理プログラム(兵庫県版HACCP)認定

2016

比屋根 毅、兵庫県「県勢高揚功労」表彰
創業50周年祝賀会

1966年に7坪の小さなお店からスタートしたエーデルワイスは、紆余曲折を経て50年の歴史を紡いできた。2016年9月16日、500人を越えるご来賓をお迎えし、創立50周年の祝賀会を開催。50年の歴史を表現したアニバーサリーケーキショーでは、最後に会長と社長がローソクに火を灯し、新たな100年に向けての決意を誓った。同時にエーデルワイス50周年記念誌『笑顔のその先へ』を発行する。

祝賀会のケーキセレモニー(創業者と現社長)

2017

「四季菓子の店 HIBIKA(ひびか)」(阪急うめだ本店)オープン

比屋根 毅が「“日本の洋菓子文化”に自信を持っていい時期が来たのではないか」と思い、立ち上げたのが日本ならではの季節を味わう新しい洋菓子ブランド「HIBIKA(ひびか)」。「四季を感じる洋菓子」をコンセプトとし、季節ごとに商品をすべて入れ替えるのが特徴。

“にっぽんの洋菓子”がコンセプトの「四季菓子の店 HIBIKA(ひびか)」

2017

株式会社ジャンディーノ設立
(おみやげ市場参入)

おみやげ市場に向けた販路開拓のためエーデルワイスの完全子会社である株式会社ジャンディーノを設立。ジャンドゥーヤチョコレートをテーマとしたブランド「ジャンディーノ」を展開開始。

エーデルワイスが生み出すこだわりの詰まった “東京土産”

2018

株式会社ジャンディーノにて
レモンスイーツ専門店「東京レモンチェ」展開

2019

本社工場 兵庫県版HACCP 認定取得
ギフト工場 ISO22000 認証取得

2020

比屋根 毅 従六位に叙する

2021

関東工場 東京都食品衛生自主管理認証制度 認証取得

2022

実店舗を
持たないブランド
「Murir(ミュリル)」オープン

エーデルワイス初のD2Cブランドとして、大人のミルクチョコレートをコンセプトに誕生したのがオリジナルミルクチョコレート専門店「Murir(ミュリル)」。スイスで100年の歴史を持つ老舗チョコレートメーカーの「フェルクリン社」の協力を得て新たな試みに挑戦。
新型コロナウィルスの世界的流行の影響を受け、予測不能な変化の時代にも永続的に美味しさと笑顔をお届けするためには何が必要かを考え、お客様にダイレクトに商品をお届けし、より多くの人たちの豊かな生活に貢献するため、試行錯誤を続けている。

“おとなのミルクチョコレート”をコンセプトに、公式オンラインショップのみで販売を開始

2023

東京オフィスを東京/中央区日本橋浜町へ移転
ネット販売課を兵庫/神戸市深江浜へ移転

2024

各 事業所名を変更